ある人に言わせると、「21世紀」はもう古くて、 これからは「22世紀」の時代なのだそうだ。 考えてみるともっともで、卓見だと思う。 そこで、私も22世紀がどうなるか予想してみることにした。 結論は、「22世紀は人類の世紀ではない」というものであって、 これには我ながら驚いてしまった。 現代日本には人類が例えば犬や猫の意思に気を使いながら生活する などということは(一部の人を除き)ないが、22世紀にはそうではなく、 人類の上司が現れる。 どういうことだろうか? 考えの発端は人間の願い、すなわち不老長寿をどうするかから始まった。 現在クローン人間が取りざたされているが、 最終的には脳の情報をいかに取り出すかが問題になる。また、人間 が200年ぐらい生きるためにはいろいろな臓器を人造なもので置き換える必要が あるだろう。 そうやって、人間の「部品」を作るよりも、はじめから脳のエミュレーションを 作り上げる方がずいぶん簡単に思われる。 しかも、実存の人間の脳の情報を取り出してコンピュータに取り込むよりも、 結局スクラッチから人工知能を書き上げる方が簡単な気がする。 要はコンピュータが人間を追い越すのだ。 古いコンピュータがどうにも遅くて困る時、 どうするか? 古いコンピュータの部品を取り換えて何とかしのぐ方が、 手間と値段がかかってしまうことも多い。 そのコンピュータが10年前のものなら、 正解は新しいコンピュータを買うことであろう。 それと同じことが人間に起こるのだ。生物が進化して作り上げて来た 人間というアーキテクチャよりも機械の方が優るようになる時代が迫っている。 コンピュータは使われる側であって、人間はその上にアグラをかいていれば いいのだ、という考え方もあるが、それはコンピュータの能力が 人間の能力と伯仲している時の話であって、最終的にはコンピュータの 能力は人間の能力を遥かに越えるだろう。 もっとも、一部分の能力についてなら20世紀の現在においても 既にコンピュータの方が人間よりも優れていることは 皆の認めるところである。 少し前、チェスでコンピュータが名人を破って話題になったが、 囲碁、将棋はあと50年以内、数学でもあと100年以内に コンピュータは人間のトップレベルになる(つまり、普通の人間よりは 良くできるようになる)だろう。 こうなると、問われるのは人間の存在意義である。 昔、ルドルフという人はその一生を円周率πの計算に費したそうだが、 現在ではコンピュータが一瞬でその計算をこなしてしまう。 それと同様に、現在、数学で大定理といわれているものも, コンピュータがあっという間に「自動」証明してしまうようになるだろう。 (ここで言う「自動」は数学的に厳密な意味ではない。チェスを本当に 究めるためには、全ての手をシラミ潰しに読む必要があるが、そうしなくても 最善手に近い手が指せるように、コンピュータは短時間で定理の証明を (1に限りなく近い確率で)捜し当てられるようになるだろう、ということである。) 数学者はその時代に生きていけるのだろうか? 22世紀にはその他の人々もそれぞれ自分の生き方について 考えねばならなくなるだろう。 「生き物は人間と同じに扱わねばならない、」とかいう議論の 本当の意義は、その時改めて問題になると思われる。 コーヒーのCMの見すぎであろうか。 Tue Jan 13 JST 1998