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総合演習 No.14

どの程度まで教えるべきか。

学びて思わざればすなわち罔(暗)し。思いて学ばざればすなわち殆(危)うし。(孔子)

確かに日本の子育ては「年長者を敬う」というディシプリンから始まる。 だが、それが、ある年齢を過ぎても、なお徹底されると 「自分自身で考えることをやめる」ことを意味するようになる。 いきすぎた教育とは人間を硬直させるものである。 1億人を超す人口を誇る日本では、国としてディシプリンや責任感、 ヒエラルキー無しでは生きていくことはできないのかもしれない。 だから、いつも常に誰かに意見やアドバイスを求めているように思える。 自分で考えることをせずにディシプリンや ルールを重視した行動をとってしまっている。 その行為は、言い方を変えれば非独立性のサインに他ならない (イビチャ オシム「考えよ」)

...これが先生の話してくれたことで,彼は良い先生であって話をやめる時を知っていた。しかし私はいつ話をやめたらいいか知らない。それでこれを面白い意見としてそっとしておく代わりに、そうだということを証明して諸君をぞっとさせ人生の複雑さに 嫌気がさすようにしようと思う。 (R.P. ファインマン「電磁気学」補章「最小作用の原理」)



2010-07-22