ルジャンドルは著作の中で合同式に対しても等号をそのまま使用した。 しかし我々は曖昧さが発生するかも知らえないことを恐れて、それを模倣する気持ちにはなれなかったのである。と書かれていて、少し驚きます。ガウスは剰余環(と現代では言われるもの)についても十分理解 していたでしょうが、それとともに同世代の無理解なひとたちのことも 理解していたのでしょう。 すくなくとも、ずっとあとの世代の環論の整備を待たねば、それらの人々には 扱いが危なっかしいと感じられた面もあったのでしょう。
とりあえず我々は現代に住んでいて、
というものを集合論、環論の土台の上に
手に入れています。