猫について
僕の母の名前はタネコ です。妻は自分がネコだと思っています。
息子は「マオ、マオ」と呼ばれています。なぜかネコが気になります。
数学について
-
数学のことば
高知大学では日本語技法が1年生で必修です。数学をするのにも
この日本語技法を学びます。前々から思っていたのですが数学で使う
言葉は日本語であろうが外国語であろうが同じような部分と、数学を
する人それぞれで異なる部分がある様に思えます。
学生を指導していて、先ず、数学の言葉(数学で使う言葉ではなく)
を使えるようにするのに苦労します。中にははじめから数学の言葉
が使える学生さんもいて、彼らの指導は共通言語があるので楽ですが、
その他の数学の言葉が話せない学生を指導するのは先ず言葉の指導です。
ゼミで次第に言葉を覚えていくわけです。うちの赤ん坊を見ていて、
言葉を覚える過程が良く似ていると思います。学生は先ず物まねです。
でも物まねさえ出来ず、ウ~ウ~と言ってるだけで卒業する学生もいます。
(実社会に入るにはそのほうが健全なのかもしれませんが。)
話し始めたらなんでもないと思うのですが、それまではこちらはいらいらしながら見ています。
言葉が使えるようになると、今度は方言や訛りが大変です。
僕の言葉はその意味でずいぶん訛っていると思います。標準語が
どんなものかも良く分からないので、講演などで分かりやすく話した
つもりでも、訛りがきつくて伝わらないことが多いです。
訛りがきついと他の人の言葉も理解しにくいので、他の人の論文を
読むときは自分の言葉に翻訳しています。言葉がとても難しくて
訳せないものは使わないことにしています。いまさら標準語の勉強
でも無いと思い、自分だけの言葉で数学をしています。
この訛りの部分が学生さんたちに染ってるのではと心配しています。
-
数学とは
数学とはという文章はいろいろあると思います。折りしもオリンピックなのでスポーツに例えてみましょう。
科学をスポーツに例えると、数学はランニングにあたります。
これこそ基本中の基本ですね。走ることを怠ると、足腰(基本)が弱くなり、
一流の選手ですら、実力が発揮できなくなりますね。数学の科学における立場
はまさにこれです。いくら立派な物理の理論を立てても、その元になってる数学の
部分にあいまいさがあればその理論はまさに砂上の楼閣です。
工学のほうでの研究成果も数学を抜きにしては必ず某プロ野球選手たちのように
ぼろが出ます。
またオリンピックでもおわかりのように走る競技では順位はわかりやすいですね。
これは数学をしていると自分のしたことが正しいかどうかは自分で分かります。
ところがその応用にあたる審判のいる競技では審判の判断に任されます。
これは科学ではその審判は科学者ですから、立派な科学者とは立派な審判の
ようなものです。人のすることですからやはり信用できるかどうかは不安ですね。
このように数学は科学の基本であるがゆえに単純に正しいかどうかが判定できるので
僕は好きです。
他へのリンク
Last update: 2007年4月6日
katsumi(a)kochi-u.ac.jp